2022.02
寄席に憧れて入った世界、だから寄席をベースに活動していきたい。
落語家
春風亭 一之輔 氏
Profile
出身地●千葉県野田市。出囃子●さつまさ。紋●中蔭光琳蔦。初高座●2001年07月21日。場所●鈴本演芸場。演目●子ほめ。芸歴●平成13年3月 日本大学芸術学部卒業、平成13年5月 春風亭一朝に入門、平成13年7月 前座となる 前座名「朝左久」、平成16年11月 二ツ目昇進 「一之輔」と改名、平成24年3月 真打昇進。受賞●2005年 第10回 岡本マキ賞、2007年 平成19年度 NHK新人演芸大賞決勝出場、2008年 平成19年度 国立演芸場花形演芸大賞銀賞、2008年 第4回 東西若手落語家コンペティション優勝、2009年 第19回 北とぴあ若手落語家競演会大賞、2010年 平成22年度NHK新人演芸大賞受賞「初天神」、2010年 平成22年度文化庁芸術祭新人賞受賞「茶の湯」、2012年 平成23年度国立演芸場花形演芸大賞 大賞、2013年 平成24年度 国立演芸場花形演芸大賞 大賞、2015年 平成27年度 浅草芸能大賞 新人賞
一之輔さんが落語と出会ったのはいつ頃のことでしょうか。
小さい頃にテレビで「笑点」なんかは観ていたと思いますが、小学校に落語クラブがありまして、「人数が少ないから」と頼まれて入って、そこで「弥次郎」を演じたことを覚えていますね。
ただ中学はまったく落語とは無縁でした。高校に入学して運動部に入ったのですが、1年で辞めて、暇を持て余してブラっと浅草に遊びに出たときに、寄席があったので何気なく入って。
それが本当の出会いといえるものです。
そこで聞いた落語が面白くて、興味を持ち月1ペースで寄席に通いました。高校に落語研究部があったのですが、部員はゼロ(笑)。ただ部室もあるし、自分がやってみようということで高校2年のときに落研を復活させたんです。
日大の芸術学部に進学後も、すぐに落語研究会に所属しました。落研中心の学生生活になりましたが、ぜひとも落語家になりたいとは思っていませんでした。
ただ消去法で好きな落語が残った、という感じですね(笑)。
寄席によく出ていたのを見ていたし、好きな落語家だったので春風亭一朝に入門しました。
一朝師匠からはどのような指導を受けたのですか。
うちの師匠はちょっと変わっていて、たいてい落語家の弟子は師匠の家に通って掃除や用事をこなしたりしながら、その合い間に稽古をつけていただく、といった感じですが、「うちには来なくていいから、自分の時間を大事に使え」という方針でした。
で、映画や歌舞伎を観たり、落語に役に立つものにふれるようにしていました。また前座のうちは覚えるだけ覚えろ、というのもほかの一門とは違っていました。
たいていは一つか二つ、とことん鍛えて自分のものにするのが修業時代ですが、うちは大ネタでもいいから覚えろと。若いうちに覚えられるだけ覚えておけという考えです。それで師匠に稽古をつけてもらって、OKが出たら高座にかけていいわけです。
ほかの一門にもどんどん稽古に行け、というやり方で、実は先代がそういう育て方をしたそうで師匠はそれに倣ったんですね。
2012年に21人抜きで真打に昇進して、数々の賞を総なめにして、今や「チケットのとれない落語家」の一人として人気を博していますが、若手に稽古をつける立場になっての指導法はどんな感じですか。
私は古典にも自分なりの解釈を入れたり、話を加えたりしていますが、そういうものは教えません。基本的に教わった師匠
のカタチを大切に、指導しますね。そうしないと軸がずれてしまう。基本を覚えて、ものにしてから、自分の味を加えたけれ
ば、そうすればいいと思いますね。また若手に教えるのは、自分が教わったことをあれこれ思い出すので勉強にもなります。
現在の持ちネタはゆうに200を超えているそうですが、現在も新しい噺を覚えているのですか。
若い頃と比べれば、さすがにペースは落ちていますが、覚えていますね。教えていただきたいと思う方のところへ出向いて
教えを請うスタイルです。あとは移動中に昔の方の録音を聞いたり、歩きながら口に出したりしていると2〜3日で覚えることができます。自宅で正座してけいこする、といったことはしませんね。ただ肝心なのは覚えてから。そこから自分のものにしていくまでが大切です。
現在の出囃子は「さつまさ」ですが、なにかこだわりはありますか。
出囃子は二ツ目からもてるんですが、「戻り駕篭」を使わせてもらっていまして、真打に昇進したとき「さつまさ」に変
えました。こだわりというか、うちの師匠は笛の名手でもあり、歌舞伎の囃子を演奏するほどで、「下座音楽」の全集のよ
うなものを持っていたので、それを聞かせていただいて、気に入ったのが「さつまさ」でした。
先代柳朝師匠が使っていたもので、許可をいただいて私が使わせていただくようになりました。
ちょっと話は変わりますが、一之輔さんは本を出版したり、ラジオ番組をもっていたり、多方面で活躍されていますね。ご自身のなかで、落語以外の活動はどのようにとらえているのですか。
そうですねえ、週刊誌の連載とかエッセイとか、書く仕事の依頼は結構多いですね、あまり断らないで引き受けるので
増えていくという(笑)。落語は古典がメインですが、考えたり、創作したりしているわけで、エッセイもある事実があってそこに肉付けしていく作業になって、共通点があるように思います。
書く仕事をすることで、落語にも返ってきます。まくらでエッセイで書いたことを話したり、ラジオのフリートークの内容を活かしたり、同じ題材でも落語、エッセイ、ラジオそれぞれに表現の仕方が違うので、私にとっては非常に糧になっていますね。
一之輔さんといえば、年間900席もの高座をこなすほど、全国の寄席、ホールを回っていたわけですが、このおよそ1年半コロナ禍で活動もままならなかったと思います。
そんななかでいち早く開設したユーチューブが大きな話題を呼びましたね。
メディアでも大きく報道されましたが、コロナ禍で定席と呼ばれる寄席が2020年4月4日から休館になりまして。
最初は、それまでずっと休みも少なかったし、この機会に休んでおこうなんて思っていたんですがね。
落語は人前でやらないとナマっていくんです。だから、しゃべりたくなっていく(笑)。で、私は21日から上野鈴本演芸場の夜の部でトリを務める予定だったんですがそれが全部なくなってしまったので、「春風亭一之輔チャンネル」というユーチューブを開設して、トリを務める時間に合わせて落語を生配信しました。
4月と5月にやりまして、自分としてはリハビリみたいなつもりでしたが、だいぶ反響をいただきましてね。今は200万回再生くらいいっているのかな。お客さまがよく見つけてくれて、ありがたいです。また皆さんステイホームしていた時期で、良かったと思うのは、遠くに住んでいらして普段寄席を生で観る機会の少ない方にお届けできたことですね。
これからの活動について抱負や目標はありますか。
うーん、私は特に将来について具体的な目標とかは持たないんですよ。
最終的には、一日に一回くらい高座に上がって、午後4時半くらいからお酒を飲んで、8時には寝ているというおじいさんになっていればいいな、と思うくらい(笑)。
まあ、それじゃまとめになりませんから、寄席には出続けたいと思います。落語家にとって寄席はホームグラウンドですから、寄席をベースに活動することに憧れて落語家になりましたからね。
独演会には私を贔屓にしてくださるお客さまがいらっしゃいますが、寄席の場合は必ずしもそうではない。
一之輔を初めて聞く、というお客さまもいらっしゃるわけです。
まっさらななかでやっていくというのはとても大切です。独演会とは違う良さがあり、私はそのバランスを大切にしてやっていきたいと思います。
関内ホールにて(11月19日取材)
インタビュアー福井