2023.02

2023.02

どんな60代が待っているか、期待がふくらんでワクワクしています。

落語家
柳家 喬太郎 氏

柳家 喬太郎

Profile

本名/小原正也(こはらまさや)。生年月日/昭和38年11月30 日。出身地/東京都。出囃子/まかしょ。紋/丸に三つ柏。
平成元年、柳家さん喬に入門。以来、一貫して自作の超爆笑新作、そして対極とも言える三遊亭円朝作品等の古典落語を演じ続け、それぞれに確固たる地位を築いている。過去数々の賞に輝き、平成18年には芸術選奨新人賞を受賞。

喬太郎師匠は長く横浜に住んでいらしたことがあるそうですね。

ええ、東京で生まれ育ちましたが小学生の頃に横浜に引越しました。全国へ講演に出かけますが、横浜という街は、わが家に帰ってきたようなホッとする心持ちがします。
全国どの街を訪れても楽しいものですが横浜はちょっと特別です。関内ホールをはじめ毎年のように呼んでいただく落語会があって、落語ファンの皆さんとお会いできることに感謝しています。

横浜に住んでいた頃に落語との出会いがあったのですね。
 

落語に興味をもち始めたのは中学生ですね。高校に進んだ後も落語はずっと好きで、大学では落語研究会に入ろうと決めていました。
ずいぶんのめり込んで落語漬けの毎日を送って、関東大会や全国大会でも優勝させてもらいました。

それだけ輝かしい実積があるのに、一度社会人になった後で、柳家さん喬師匠に弟子入りしました。

非常に厳しい状況でした。
落語は大好きでしたが、おしゃべりで食べていくことなんて自分には無理だと思っていたんですね。
怖さもありました。
それで本が好きだったので書店員として仕事をしていました。ところが1年半くらい経って「やっぱり死ぬときには落語家として死にたい」という思いが強くなって転身しました。
さん喬師匠に弟子入りしたのは、単純な理由で噺家として好きだったから。当時、師匠は若手の真打として登場したばかりの頃だったと思いますが、客として何度も噺を聞かせていただき「こういう落語家になりたい、この師匠の弟子になりたい」と思って入門しました。
25歳のときです。

喬太郎師匠の出囃子といえば「まかしょ」ですが、いつ頃から使われているのですか。

東京の落語家には前座、二つ目、真打ちという3つの階級があって、二つ目になると自分の出囃子をもつことができます。
うちの師匠は日本舞踊もやっていて、演目の一つに「まかしょ」という曲があり、そのうちの一節が出囃子にいいんじゃないか、ということで「使ってみたらどうか」と勧めていただいて、それから使うようになりました。

入門から10年後にはNHK新人演芸大賞を受賞し、2000年には12人抜きで真打ちになりました。
師匠ゆずりの古典落語はもとより新作落語にも取り組み、さらには執筆業や俳優業など異分野でも活躍されるようになりましたが、振り返って順風満帆できたという実感はありますか。

いやいや、とんでもありません(笑)。
特に覚えているのは40代でしょうか。自分はこのトシでこのしゃべりでいいのか、という葛藤というか、焦りがありました。師匠がこのトシだったときと自分を比べると、いかにも浅い感じがしまして。たとえば古典落語をやるときに、フツーにしゃべってお客さまにフツーに喜んでいただく、そういう話芸の底力
を身につけなければと思っていました。

50代に入る前に、せめてそのとば口に立ちたいと願っていたんです。自分の50代はどうなってしまうのかな、なんて考えていたとき、ふっきれたのは林家正藏師匠が言ってくれた「喬ちゃん、50代っていうのは楽しいよ」というセリフで、あれで気持ちがラクになったのを覚えています(笑)。

百数十という持ちネタがあると思いますが、いわゆる噺を自分のものにするというのはどういう感覚になったときなのでしょうか。

古典落語の場合はその噺をやられている師匠にお願いして稽古をつけてもらい、覚えて直して、正していただいてを繰り返します。そしてお客さまの前でしゃべるようになるのですが、最初の時点では教わったものをただしゃべっているような感じとでも言いましょうか。

お客さまの前で何度もしゃべって、その噺が自分の手のなかに入ってくる感覚があります。
稽古も大事なんですが、イキイキと血の通った噺にしていくためには、実戦で練り上げていく必要があると思います。
本番のネタ選びは、あらかじめ演目が発表されている落語会もありますが、たいていは高座に上がる直前に決めます。これをやろうと思っていても、最近その噺は別の落語家さんがやられている、となった場合は季節やその場の雰囲気などいろいろなことを考えて、改めてネタを決める。そこでいかに柔軟に対応できるかも、どれだけの「ネタ数」をもっているかということが大切になってきます。

さて落語界もコロナ禍の影響は少なくなかったと思いますが、この3年間はどのような動きをされてきましたか。 

落語界も私も世の中の動きとほぼ同じように動いてきたと思います。
2020年の緊急事態宣言下においてはコロナの正体がまだ詳しく分からず、不安でしたね。すべての仕事が中止、延期となりました。時間ができたといっても外へ出るわけにもいかず、稽古や勉強をすればと思っても、普通の休みではないので気持ちが沈んで手につかないといった状況でした。

そのうちに若い落語家さんがオンラインで落語を始めて、私にもそういう話がくるようになりました。
感染拡大の波と対策強化を繰り返し、現在も第8波がどうなるかというなかですが、徐々に日常が戻って
きて、落語会でもようやく人数制限なくお客さまにきていただけるようになりました。

お客さまの前でしゃべられるのは嬉しいものですが、このコロナ禍で生み出されたオンラインは、特に地方や海外に住む方などなかなか生の落語にふれる機会のない方々からとても喜ばれ、大きな反響をいただきました。今も定期的にオンライン公演を実施していますが、これから続けていきたいと思っています。

芸歴33年で、還暦も近づいてきましたがこれからの抱負はありますか。

先ほど正藏師匠から「50代は楽しいよ」って言われたと話しましたが、それが去年のことだと思えるくらいこの10年はあっという間に過ぎてしまって(笑)、楽しさを味わい損ねてきたようです。
芸歴30年を超えるといっても、この世界は芸歴50年、60年という大先輩が多くいらっしゃいますから、それにまだまだひよっこですよ。
一方で会社員の同級生は定年を迎える時期になりますから、一個人としては長く同じ仕事をしてきたんだな、という感慨のようなものはあります。
まだまだ、という気持ちとないまぜになった感情ですね。落語家は定年のない仕事ですから、元気であれば80歳でも90歳でも続けられます。最近は足が弱ってきたので、まずは体を大事にすることが第一。
どんな60代にしたいかという抱負より、どんな60代が待っているか、という期待が大きいです。

還暦まで1年間猶予がありますが、この1年も含めてワクワクしながら過ごしていきたいですね。

関内ホールにて(2022年12月2日取材)
インタビュアー福井

2023.01

警備業の社会的な地位向上と発展のために 仲間と手を取り働きかけていきたい。
柳家 喬太郎

神奈川県警備業政治連盟 理事長
田邊 中 氏

2023.03

昨年のリニューアルオープンもふまえ、さらなる集客とお客さまが回避する「エリアの核」として機能したい。
柳家 喬太郎

株式会社横浜赤レンガ 代表取締役社長
五十嵐 光晴 氏

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