2024.01

2024.01

古典落語は社会の縮図でもあり、それが現代にも通じる笑いを届けるのでしょう。

落語家





柳家 三三 師匠 氏

柳家  三三 師匠

Profile

●芸歴/1993年3月柳家小三治に入門。5月楽屋入り、前座名「小多け」。10月初高座(末広亭・「同灌」。1996年5月二ツ目昇進「三三」と改名。2006年3月真打昇進。
●受賞歴/1999(平成11)年2月 第9回 北とぴあ若手落語競演会大賞。2004(平成16)年5月 平成15年度 にっかん飛切落語会若手落語家大賞。2005(平成17)年3月 平成16年度 花形演芸大賞銀賞。2008(平成20)年1月 平成19年度 文化庁芸術祭新人賞。2016(平成28)年3月 平成27年度(第66回)芸術選奨 文部科学大臣新人賞(大衆芸能部門)

三三師匠はいつごろ落語に興味をもったのですか。

確か小学1年生のときに、両親がたまたまテレビの落語番組にチャンネルを合わせて、それを何気なく観て「面白いな」と思ったのが原体験ですね。誰が演じていたかはわかりませんが演目は「文違い」でした。
次の出会いは小学4年生のときでしたか、遠方の親戚をたずねる際に、電車のなかで読む本を買っておいでとお金をもらって、本屋で好きだったとんち昔話の本を選んだつもりが、間違えて落語の本を買っていました。ただそれが面白くて「これが前にテレビで観た落語というものだな」と認識を新たにしたことを覚えています。

そこから落語に傾倒していったわけですか。

私は生まれ育ちは小田原なんですが、中学1年生のときには都内の寄席まで通うようになっていましたね。中学2年では師匠になる柳家小三治に手紙を出して両親と訪ねて「中学を出たら入門したい」とお願いしましたが、そこで断られまして、仕方なく高校へ行きました(笑)。
後で聞いた話ですが、高校在学中に母は師匠に何度か私の近況報告の手紙を送っていたそうです。「まだ噺家になりたそうです」といった感じのことを書いていたらしいですが、そのおかげかどうか高校卒業後に入門が許されました。勉強が嫌いで落語家になりたいと思っていたのですが、なるときに一つ忘れていたのは、人前で喋るのが嫌いだってことです(笑)。勉強が嫌いだから暗記したり覚えたりといったことも苦手なんです。困ったなって思いましたよ。今でも結婚式の挨拶なんかは緊張して苦手なんですが、自分のなかで落語だけは別物でした。自分が喋ってそれを聞いている人も「ああ楽しい」と思ってもらえれば最高だと思って、それだけで今までやってきた感じです。

人気、実力ともに当代きっての落語家の一人ですが、修業時代にはご苦労もありましたか。

それが、あまり大きな挫折ってないんですよ。何があっても前向きに、ショックを受けたとしても立ち直りが早い。ただ昔からコンプレックスは多くて物忘れが激しいのもひとつですが、それ以上にコンプレックスを感じたのは、落語家になることを親に反対されなかったことです。「なりたい」と言ったら「そうかい、いいよ、応援するよ」って感じで(笑)。芸人になるといえば普通は大抵苦労するからやめとけとか言われそうなものですが、若い頃に親に応援されている落語家、というのが本当に恥ずかしかったです。地元で落語会やろう、なんて張り切っていましたからね。でも、そのおかげで年に数回は小田原で落語会を開かせてもらっていますから、今は素直にありがたいです。

修業時代のエピソードはありますか。

これもひとつのコンプレックスですが、姿カタチが普通で、芸人としてのオーラがないんです。二つ目のときでしたか、秋葉原で私の独演会がある前日に、会場近くの大型電気店で落語のCDを数枚買ってレジに向かったら、その独演会のチラシが置いてありました。店員さんがちらっと私のほうを見たので「明日、頑張ります」って言おうと思ったら、「明日、落語の独演会があるんですが聞きにきませんか」って(笑)。チラシに顔写真も載っているのに「チケットが結構余っているんです」と続けてきたので「明日、実は来るんです」と返したら「じゃ、チケットを」「いやチケットはいりません」「チケットがないと入れませんよ」「いやチケットは買わないんです」なんて落語のようなやりとりがありまして、向こうは変人を見るように呆れた顔をしていましたね。さらにオチが付いていて、独演会当日に楽屋に入ろうとしたら警備の方に「切符がないと入れませんよ」と言われました(笑)。

お客さまは高座の着物姿を見慣れているから、私服だとわからないものなんですかね。

それもあったかもしれませんが、私服でこんなこともありました。鎌倉で落語会を終えて、大船駅のホームで電車を待っていたら落語会にきていた方が寄ってこられて「いや楽しかったです」って言っていただいて、こちらもお礼を述べていたら、その方が続けて「それで普段は何のお仕事されているんですか」と訊ねてこられたんです(笑)。こっちもしれっと「市役所の戸籍係で働いています」と答えたら、さもありなんといった顔で頷いていらっしゃいました。まあこれも落語家としてのオーラ、個性がないからないんだと思いましたよ。

小三治師匠が一昨年の10月に亡くなられて2年経ちますが思い出などございましたら。

本当に突然のことで、亡くなる前日も師匠宅へ行きましたが、元気でしたからね。
落語を手取り足取り教わったというより、長いこと弟子でいさせてもらい芸人として生きる姿を見させてもらって、その背中をずっと追い続けてきました。亡くなってからも自分が生きていくうえでことあるごとに「師匠だったらどう対処するか、どう考えるか」という判断の物差しの一つになっています。
また若い頃に言われてわからなかったこと、腑に落ちなかったことが、年齢重ねるごとに今だったらわかるこういう意味で言っていたんだということがわかってきましたね。

高座に上がるとき、どんな気持ちで臨んでいますか。

私は古典落語をやることが多いんですが、古い噺を無理に現代と重ね合わせる必要はないと思います。小学1年のときに初めて観た「文違い」も廓の遊女が馴染み客をだましてお金を無心して惚れた男に貢ぐのですが、実は自分も男に騙されていたという噺です。これも言ってはなんですが現代でもよくある話じゃないですか。滑稽噺や人情噺には社会の縮図が表されてるので、古典を現代風に直さないといけないとは思わないし、逆に古いまま残さなければいけないとも思いません。
古典はこれまで何万、何十万回と演じられ、お客さまも展開やオチを知っている、演じる落語家も知っている。でも落語家が噺の展開をわかったふうに演じたら決して面白くない。噺のなかの登場人物にとっては、生涯初めてのできごとで、驚いたり、悲しんだり、笑ったりするんですから、落語家として毎回、登場人物になりきって、この先どうなるか展開を知らないという状態で演じれば、いつでも新鮮で楽しいものになる。それが落語の面白さだと思いますね。

最後にこれからの抱負をお願いします。

いやー、来年は50歳になりますし、多くの方に名前と顔を覚えていただきたいですね(笑)。

関内ホールにて(10月24日取材)


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