2026.01
自分の居場所をつくって成り立っているうちはスタイルを変えなくていいと思っているんです。
落語家
柳亭小痴楽 師匠 氏
Profile
1988年12月 5代目柳亭痴楽の次男として生まれる。2005年7月 16才の時に入門を申し出た途端に父が病に伏したため、二代目桂平治(現:桂文治)へ入門「桂ち太郎」。2005年10月 楽屋入り、初高座。2008年6月 父(痴楽)の門下に移り「柳亭ち太郎」と改める。2009年9月 父(痴楽)の没後、柳亭楽輔(父(痴楽)の弟弟子)門下へ。11月 二ツ目昇進を期に「三代目 柳亭小痴楽」を襲名。2011年2月 「第22 回北とぴあ若手落語家競演会」奨励賞を受賞。2015年10月 「平成27 年度NHK 新人落語大賞」ファイナリスト。2016年10月「平成28 年度NHK 新人落語大賞」ファイナリスト2019年9月真打昇進。出版/2019年11月 自身初のエッセイ集「まくらばな」ぴあ出版より。2024年6月 噺家としての成長期のまくら記録「柳亭小痴楽 令和の江戸っ子まくら集 シブラク編」竹書房より。その他主なメディア活動/NHKラジオ第1「小痴楽の楽屋ぞめき」毎週日曜日13:05~13:55放送、メインパーソナリティ・月刊誌「小説現代」(講談社)にて、時代小説の書評を隔月で連載中。SNS/X(旧Twitter)@kochiraku/Instagram @kochiraku_ryutei
小痴楽師師匠は、父親が亡くなられてはいますが親が柳亭痴楽師匠ですから子どもの頃から落語は聞かれていたんですか。
いやいや噺家の息子ではありますが、小さなころから落語を聞いて育ったわけではありません。初めて落語を聞いたのは小学4年生のときです。桂文治師匠が学校行事で寄席をやりにきてくれて「転失気(てんしき)」を披露してくれました。寺の和尚が医師の問診を受けて、転失気があるか尋ねられる。転失気はおならのことですが、和尚はその医学用語が分からなかったにもかかわらず小僧さんに対して知ったかぶりをして、結果としてあたふたするという噺です。同級生たちにもウケて、それからしばらくはおならをすると「てんしきしちゃった」なんて感じで流行って、落語の影響力はすごいな、と子ども心に思いましたね。
その経験が落語家を目指すきっかけになったのですか。
いや、直接の経験は中学3年生のときでしたか、ラジカセで音楽を聞こうと思ったら、父親が持っていたカセットテープが入っていて、出囃子のようなものが耳に入ってきたから思わず聞いてみたら、それが八代目春風亭柳枝師匠の「花色木綿」という噺でした。いわゆる泥棒噺で、あとから思えばどちらかというと地味な噺なんですが、そのときの私にとって「すごく面白かった」のです。それで「落語ってすごい、落語をやりたい」と思って、それですぐに父親に「やりたい」と伝えましたね(笑)。
息子が落語家を志すということで痴楽師匠は喜びましたか。
いや、そういう感じではなくて、あんまり落語の世界に入って欲しくないような雰囲気でしたね。「ああ、そうか」的な受け止め方で、それでも「これを読みな」って、立川談志師匠の「現代落語論」を手渡されました。それが素晴らしくてね、考え方、表現力に圧倒されました。談志師匠の落語もカセットで聞きました。でもあるときの高座を聞いたときに私が談志師匠に批判めいたことを言ったら、こっぴどく叱られて「今後のことはもう一度話し合う」ということになりました。父親が倒れたのはそれから2週間ほど後で、3か月後に意識が戻ったとき「まだやりたいと思っているのか」と聞かれ、やりたいと答えたら、文治師匠への入門が許されて、それで高校も辞めて落語の世界へ飛び込みました。
落語家としてすでに21年目を迎えているわけですね。振り返っていかがですか。
先ほども言いましたように私は噺家の息子として生まれましたが子どもの頃に父親を楽屋に訪ねたこともなかったし、落語オタクでもマニアでもなく15、6歳でポンと落語の世界に入りました。だから入門後の前座、二つ目と修業時代は目の前のことに精いっぱいであまり周りを見る余裕はなかったですね。自分がその場所にいることに必死という状態でしたから。まあ、今でも余裕はありませんけど(笑)。ただとても恵まれていたことは確かです。文治師匠がいて、しくじりが多くて破門された後は、父親の門下になり父亡き後、師匠、楽輔に育てていただいた。さらに父親の同期だった三遊亭小遊三師匠はじめ桂米助師匠にも大変お世話になりました。前座時代に長くカバン持ちをした桂歌丸師匠も一門が違うのに、可愛がっていただきました。それはすごく大きな財産だと思っています。
若手真打のトップランナーの一人としてラジオやテレビなど活躍の場を広げていますが、その辺りは意識していますか。
個人的な考えとして、落語の世界だけに住んでいるのもいいですが、視野が狭くなりがちです。落語ではないところに身を置いて、色々な分野の人に会い、話を聞くのはとても刺激になるし落語家としての栄養にもなっています。また昔から読書が好きで、今も小説でもエッセイでもノンフィクションでも全般的に本は読んでいます。自分が知らない世界を広げてくれるものは何でも大切にしたいと思っています。
20代の頃は周りが見えなかったということですが、昨今の落語界の変化というものは感じられますか。
ここ10年くらいは世の中の変わり方も激しいと思いますが、たとえばコンプライアンスひとつとってもそうです。あれもダメこれもダメとなってくると、私たちの世界ではなかなか難しいですね。たとえば師弟制度はある意味、家族のような温かな関係ですがコンプライアンスや世間的な枠組みの物差しではかると崩れてしまうと思います。落語の表現でも、自分自身は面白いと思っていても世の中的にはNGになるのかな、という葛藤が生じるときもあります。ひと昔前は笑って済まされたことが今はハラスメントになるとか。かといってあまり迎合していくと面白味が無くなっていく怖さもあります。だから今のところ私は、時代の潮流に反発して、自分の居場所をつくって、すごく生意気ですけどそれで成り立っているうちはスタイルを変えなくていいって思っているんです。昔から落語界って社会不適合者、変わり者の集まりですから(笑)。
周りにも変わっている方は多くいらっしゃいますか。
私は先輩方とお酒を飲んだり話したりする機会が多く、その時間がとても楽しいのですが、私が知らない時代の話を聞くと、世の中の枠に入らない人ばっかりなんですよ。詳しく話せはしませんが、たとえばうちの父親も新婚時代、タバコを買ってくると家を出て、知り合いに会って麻雀に誘われて卓を囲んで、そこで勝って、そのまま旅行に出かけて数日帰ってこなかった、なんて話はザラなんです。そういう可笑しさを怒るんじゃなくてどう楽しむかってことなんでしょうね。
落語界をこうしていきたい、というような思いはありますか。
相撲も歌舞伎も落語も日本の国技や文化として長い時代残っているものは多くありますが、私には落語をこれからどうしたい、という思いはありません。日本の一つのシンボルとしてあり続ければよいと思います。ど真ん中に来るものではないけれど、日本人にいつまでも必要とされ愛され続ける文化として残っていけばいいのではないでしょうか。
ご自身が目指していく落語家像といったものはありますか。
昔の師匠方の落語と今の落語は噺は同じでも確かに変化してきています。滑稽話のボケとツッコミ、合間のお客さまの笑いにしても随分変わってきていますね。ですから自分の芯は持ちつつ、しなやかに変化をキャッチするっていうんですかね。先のことは分かりませんが、自分の筋は通しながらも柔軟性をもっていたいです。そして落語界っていえば、と問われるなかで常に自分の名前が挙がってくるようにしていければ思います。
関内ホールにて(11月14日取材)
インタビュアー植草・橋本













